1 会社経営の継承
私は、父が設立した会社を継承しました。父は、1980年ごろに製造業の会社を設立して従業員70名、売上12億円の会社まで大きく成長させました。会社は順調に成長しましたが、バブル崩壊、そして中国、韓国のライバル会社の影響で売り上げは徐々に減少していきました。中国の安い単価で、通常の50パーセント引きの単価で仕事を受けるこもありました。そして同時に、母が突然亡くなり父は会社を引退し私が後を継ぐことになり、私はその当時36歳でした。その直後にリーマンショック、円高、東北大震災が発生し会社は、大きく傾き赤字に転落しました。当時、税理士顧問からは、会社をたたむ準備をしてはと言われ、年間6000万ぐらいでトータル1億の赤字だと伝えられてとてもショックでその時の光景を今の覚えています。しかし、この私よりもっと地獄の経験をした経営者さんもいることでしょう。
2 いざ、黒字化へ出発
約1億の赤字と会社の繰り越し金2億があり、合計3億を取り戻すために会社を立て直すことを決断し、税理士顧問にもう一年間自分にできることをすべてやりつくしてから会社を存続させるかどうか考える旨を伝え経営を継続しました。他の経営者様は、どのように黒字転換をするでしょうか?私は、まず経理に任せておいたお金の流れを全て自分で把握し、だれが、いくら何に何のために使っているのかです。やっているうちに家計簿と全くやっていること同じだと感じました。例えボールペン1本でも調べ、ようやく売上に対してどのくらい経費が必要なのかわり、加えて税金、労務の法律も勉強しました。そして、会社の損益分岐点を把握して具体的な営業方針を出せるようになり、少しずつ利益が出てきました。ここに辿り着くまで社長として認めてもらえない日々が続きましたが、反面やりがいもありました。決して労働者としてではなく、経営者としての充実した体験ができたということです。思い出せば、大手の経営者の因数分解しなさいと言っていた意味がよくわかりました。会社の中身を細かく理解し、赤字の原因を究明することです。それから、黒字は、1000万円、3000万円と徐々に増えていきました。
3 次なる会社の飛躍へ
それから、さらに利益を上げるために考えたのは、お得意様をすべて変えて単価の良い仕事をもらえるように方針を変更しました。要するに、同業者からの下請けを止め、上流の大企業から仕事をもらうことです。これには、会社の技術や管理体制(ISO取得)を底上げし、財務基盤(自己資本比率)を安定させることでした。そして、一番重要なのでは営業で、どうやって大企業の購買担当とコンタクトするのかです。色々な方法がありますが、私の方法は、公的機関の活用と営業のヘッドハンティング、インターネット検索、直接の電話アポ、紹介などです。これで、何とか客先単価の高いお客様にすべて替えました。その結果、利益は、税引き前で年間利益3億まで到達しました。この利益を出した時の気持ちは、大変喜びにあふれましたが、その反面来年は利益を今年以上に出し続けれるのか?と不安のほうが大きかったです。実際は、経営者はどんなに利益がでても来年はどうなるのか不安がいつも付きまとうものだと実感させられました。
4 会社の安定化へ
それから、会社が毎年、徐々に利益をだせるようになりました。その一方で、従業員の不平不満や事故などが起こりました。例えば従業員が、両足を骨折したり、火事が発生したりと消防署や警察などにお世話になり、また、税務申告ミスで税務署に入られたりしました。その対策として専門知識を得ようと弁護士、社会労務士、司法書士、中小企業診断士、保険会社を顧問として雇い会社の防御を強化しました。
弁護士は詐欺まがいの訪問販売の阻止、契約書のリーガルチェック
社労士は労働基準局の対応と昇給方法のサポート
司法書士は会社書類の準備
中小企業診断士は、助成金資料の作成サポート
保険会社は、節税対策、相続対策のサポート
とにかく会社が法律を遵守しクリーンな会社を目指し後継者が困らないようにと目指しました。これが後のM&Aのへの成功の要素になっていきました。